the Garden of lineage


























私は、土の上に屈んではアルミニウム箔片を拾っている。一心不乱に拾っている。



 

私の家にはそれなりの広さの庭があって、少しの木々と畑があった。


幼少の頃はその原野に近い遊び場である庭で転げはしゃぎ、大人は集まって肉を焼いたり、ある子供は秘密基地や竪穴住居を建てたりして遊んだものだった。 


その地権者であるところの祖父は旧い人で、その畑の隅にはいつも「火燃し」の場があった。



「火燃し」とは私の地元の言葉であろうか。畑の隅にコンクリートをコの字に組み、家庭や耕作で出た廃棄物やらをまとめて燃やしてしまう。


風のない澄んだ日にはかつては殆どの家庭の庭先で白い煙が立ち上ったものだった。


今日法律で禁じられているのでは?と時より頭を過るが祖父はやってしまうのだから私が気を配るべくもない。


「旧い人」という言葉が受け取られるときに蔑の意を含むのは小さく理解するが、つまりはそういうことだ。祖父は分別をしないのである。 



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私は小さい頃からこの「火燃し」が好きだった。


(ただ火を眺めるというだけで人は落ち着くものである「原初の記憶」などと囃し立てるまでもなく火は人の身体をあたため、同時にほぐしてくれる)


祖父はそれを知っていて、それをするとき決まって私を呼んだ。時にはその下に ホイルに包まれた美味しい贈り物を隠して。


陽が落ちるか落ちないかの間の庭に、チラチラと影帽子が伸びていく。その美しい様を眺めるのがたまらなく心地よく好きだった。 

 

だがある時小さな私の目にもそれは入ってきた。 小さな葉と葉の間の隙間から鈍色に輝く箔片。アルミホイルだった。

 

言うまでもなく、アルミ箔は自然分解しない。(長い目で見れば、酸化や還元を通して風化することはあると考えるが土壌循環はあり得ない)


それらが、たった今土と葉の間から姿を現している。幼少の私にもそれは小さなショックに思えた。 


その時からふと気づけば祖父はあらゆるものを同時に"燃して"いた。ペットボトル、ガラス、金属片さまざま。


燃えるわけもないのに、それらはその塵との炎舞の中に放り込まれていた。


(ごみ収集所の管理者でもあったため分別の悪い近隣の未回収物の最終処分を請負っていたという事情もあったが)


それらは溶け集まって、まるでコークスのように黒く固まって堆積していた。が、その中でも厄介なのがアルミホイルだった。 


一般に、野焼きというのは急速に温度が上がるものだそうである。


数百度という温度に瞬時に到達し植物由来の有機物は濡れてさえいなければほとんど灰となる。


それだけの高温に晒されると、アルミホイルは光沢を失いボソボソと崩れ落ちる箔片となる。


(もちろん石油由来物が低温で燃やされればダイオキシン等の有害物質を撒き散らすことになる) 


それらが今私の畑に堆積しつつあった。


それを知ってからは、喜びと同時に「あぁ今日はこれだけの燃えないものが燃やされるのか」と小さなトゲを抱えながら見ていた。


(小さく監視に近いなこれはとも思い始める) 


いつか声を荒らげたこともあったように思うが小さな孫の言葉など真剣に受け取られることはまずない。


その鈍黒い塊と箔片は土壌の表層に堆積していった。




私は、昨年まで家を離れていた。




少しだけ自責の念がないではないが、仕方がないことである。そして今、こうして土をさらえながら、小さな箔片を拾い集めている。

祖父はこの土地を私に託すと言った。私はこの土を50年来育んでしまった責を思う。このままでは受け継ぎたくはない。

少なくとも、祖父が生きている間は こうして拾われた箔片の何倍ものそれがここに堆積していく。

私はこの文が血縁の者に読まれるのを恐いと思う。だがトゲを抱えては生きてはいけないものであるものだから、無意と分かっていてもこうして拾うのである。 



2023.04.25.15.09.-

Yamato Ogawa.

2023.02.14.02.07. -

 

上野、19:21分 食事の席にて。




「写真は鏡だ」

とは写真家、上田義彦氏の言葉であるが、ふと食事中にそれを直接的に意識する出来事があった。
 
私は 暖色の灯りに照らされながら食器の擦れる音や心地よい談笑の中食事をしている。

左奥  隅の席で。 


だが、 それと同時に、より入口寄りの真中の四人席で私は友人夫婦二人 (ほとんど家族と呼んで良い程の親しい二人)

と談笑を交え食事をしている。


おそらく、その時の会話は "今日" まさに目の前で食事をしている その人に関する話題だったと記憶をしている。 

あの時の私は "今日" という出来事のことは知覚していないが、この空間という状況の存在一点に着眼した際に、

過去と現在の私は同時に同列にこの空間に存在している。

そして、その物理的事実に "今" や "過去" という (人間の社会的尺度としての) 時間的意味付けをするのは

「なにを食べた」という事実を記録するための料理の写真なのだ。 (少なくとも私にとってはだが)



私は全く同じ場所でほとんど同じ構図の写真を撮ることが多々ある。

その写真単体で観た時には(画としての評価は別として)無意に近いが、

時間的尺度で比較・対比した時に意味が生まれるだろうとの意 (≒タイポロジー) と同時に

それほど遺したいという感情を掻き立てられる対象であることがあるからだ。 

前段の文の事項を前提に置いて考えた時にも、やはりその被写体の前には複雑に重層化された 私という観察者の目線がある。

時間的尺度を廃し物理的存在と状況という現象に着眼すれば、やはりその場所にはたくさんの私が同時に存在している。 

そしてそこに意味付を与えるのは「写真」という「窓」なのだ。 

私は大量に並べられた近い写真を眺めては手に取り "その先" に目を配り読むことで、

その被写体の時間的尺度を手がかりに被写体の同時代性、ひいては撮影者である私自身をも読むことになる。 


やはり写真とはとても優秀な鏡なのだ。

時間とは本来遺された物理的痕跡の中にこそ存在しているものなのかもしれない。

(読むことによって我々に意味付を与えてくれるプロトコルのようなソフトウェア?)




またこういうのはどうだろう。 

あなたが幼少の頃から家族と大切な時に決まって訪れる店があるとしよう。

あなたが成長し歳を積み重ねていく度に家族はその店を訪れる。 

決まって、それは窓際のあたたかなソファの席だ。

テーブルクロスは赤と白のタータンチェックかもしれない。 そしてその店は今もあるのだ。


あなたがふとその店と家族が積み重ねた時間を振り返る時、

時間でなく場所と状況の存在という物理的事象に着眼する時、

あなたは同時にその場所に存在し続ける。

そしてその状況という事象に時間的意味付を与えるのは

あなたの成長した姿や遺る笑顔の写真かもしれない。 

家族アルバムとはだからこそ輝くのだ。

(ちなみに上記に該当する私の記憶である千葉県鎌ヶ谷市の家庭的イタリア料理店トスカーナは既に存在しない)



話を冒頭に引き戻すが、(谷川俊太郎は二十億光年を旅して それでもなおくしゃみをするのだ) 

数分の間に頭を四方八方に拡げながらそんなことを思っていたら、

恋人はそんなことをよそに屈託のない笑顔を向ける。

どうやら私の鶏肉を狙っているらしい。



2023.02.14.02.07.

Yamato Ogawa.



 夢を見た。



小さな白い建物 


小学校のようなところにいて、私は 先生なのか 子供たちと話をしている。


教室で飼われているアマガエルが 元気がなさそうと児童から相談を受け 餌をとりに外に出た。


方々歩き回って ヨコヅナカメムシ、ビロードハマキ、ネコハエトリ等々捕まえて これならいい餌になるだろう と 学校へ戻ると 教室が騒然としていた。


学校で飼っている羊 (今年分の毛は既に刈って終わってありヤギのように見える) が教室に入ってきたかと思うと 急に座り込んで 息み出したとのことだった。


私は辛そうにする羊の横で大きく反復する腹を撫でてやり 出来るだけ 出産を手伝おうとした。


もう一頭の羊も入ってきて 側で腹や背を舐めている。 子供たちは泣き出す子こそあれ ほとんど呆然の状態でそれを眺めていた。

 



程なくして、黒々と濡れた子羊が産まれてきた。私は努めて明るく「産まれたよ!」と叫び


子供たちの歓声・奇声が起こった。 



羊が立ち上がる前に目覚めた。



2022.11.15.11.21.

Yamato Ogawa.

夢を見た。

 

友人たち数人 (KとT) と恋人 (H) とで出掛けていた。


おそらく海外だろう。ラスベガスのような街並みだったように思う。 


夜中になりホテルで休息を取るのだが、何故か恋人と私は部屋 (バンガローの棟) が違う。


すると友人の一人が急に「こんなところまで来たんだから思いっきり楽しもう」と提案する。


(友人はこの夜の悪事のために私と恋人の部屋を分けてとったのかもしれない)


彼らは車を出し私を無理やりに連れ出し (たまには悪いことしなくちゃと言ったようなニュアンスの言葉) 車に乗せた。 


恋人は自分の部屋にいるのだが 部屋に一人の寂しさからか寝付けないらしく 私と携帯電話のテキストで連絡を取りたがっている。


夜の街へ繰り出す友人の運転する車内で 私はこの悪友との一夜を隠そうと嘘をつかなければいけない状況になってしまう。


(嘘をつくことは本当に慣れていない) 


海外だからかLINEやアプリケーションではなくSMSメッセージを利用した会話だったのだが、携帯電話の調子が悪く こちらからは飛び飛びでしか連絡を送れない。


悪いことに車内の揺れからか私の指も動きが疎かになってきた。


(ものすごい速度で窓を横切っていく街灯や標識の灯り)


こちらからほとんど送れないにも関わらず 恋人の優しい言葉が積み重なっていく罪悪感を胸に感じ焦燥感に駆られる。


さらに悪いことに車が動くか不安になるほどの恐ろしい豪雨に見舞われ、視界がほとんどない。


オープンカーを無理やり塞いだ車なのか上からも濁流が流れ込んでくる。


友人のKはそれでも車を全速力で走らせ 地下道に入ろうとする。 


フロントガラスが滝のような雨で気がつかなかったようだが そこは既に冠水しており 我々は車のままそこに突っ込む。 


全速力のまま車内に溢れ込んでくる濁流と 割れたフロントガラスたち。


暗転する意識の中にこだまする 疎かな私のメッセージすら包み込み 積み重なっていく優しい言葉たち。

 


 

次の夢



 

私は東南アジア圏の国にいた。一人だった。


現地の人々と拙い英語で会話しながら交流をするうちに この地域の裏の生活が薄く見えてきた。


この地域を裏で操る男がいて、彼らがどうもひどいことを村民に対して行なっている風だった。


私はそこで仲良くなった男 (現地人と外国人を含む数人) とその男を懲らしめる策を練る一人に選ばれてしまった。


(嫌々だが外国人なら知恵を持って手を貸せとの村の期待を断れなかったというのがある)


ちょうどその頃、村に大発生している昆虫がいた。それは少々の知性を持てるように改変されたスズメバチの一種だった。


おそらく蚊や蠅やゴキブリを駆逐するよう改良されたものだと思うのだが  ひとつの個体が敵とイメージした対称を群を使って殺すという特徴を持った昆虫だった。


私はその昆虫を使い その男を群れの仮想敵に仕立て上げることに成功した。


結果的にその男は死ぬこととなるのだが、同時に村中にその蜂の恐ろしさが伝わってしまう。


村の人々はその蜂を排除しようと皆で退治していくのだが、村民は次々に蜂の仮想敵となり襲われていってしまう。


蜂の中では "人間は敵 → 戦おう → 排除しよう" という方程式が出来上がってしまっており、村民は次々に命を落とす。


村の一人があることに気がついてしまう。「この蜂を利用しようと画策した最初の人間は誰だ?」


私は村中の人々からことの発端の犯人として晒し上げられ 極悪非道の諸悪の根源の様に罵倒と排斥の意思を浴びせられる。


(逃げ込んだひとつの集落では先日死んだその男を神と崇めるような人々との交流もありなにが正しかったのかわからなくなる一幕もあった。取材にと持ち込んだカメラやレンズが湿気で目に見えてミシミシとカビていく恐怖を感じていく)


そんな人々たちから逃げる私に、例の蜂たちが迫ってくる。


脳内にこだまする蜂たちの声「お前が私たちを使ったのだ お前がすべて悪いのだから 仕方のないことだろう?」


必要以上に恐ろしく大きな羽音に 私は死を覚悟する。


 


2022.09.10.05.00.  -


Yamato Ogawa.

 夢を見た。



友人の夫婦二人が営む森の中 (ブナの原生林が近い) のアトリエ・レジデントハウス、主人は海外で滞在製作中。

今の時期は人の往来が少ないので 奥様が管理や清掃を行なっている。
 

一人招かれた私は 夜、食事中に突如視界が暗転し意識を失う。

目覚めると床の上 応急処置を受けた後だったが 敷かれた布 (床のカーペット) は鮮血の海。

私の容体如何で数十キロ先の病院から人を呼ぶべきか検討しているとのことだった。

(救急車は主要地区に優先的に使われ山間部にはほとんど来ないとのこと)
 

 
私は 熊に襲われていた。

 

 熊の左手の爪の一撃で左斜後頭部の一部 (クモ膜下部位か?) と頭蓋に損傷が起き意識と記憶に混濁が見られたが、

私の強っての願いと山間部夜間の事情からその後は当地で静養することになり、制作を続けながらも体調を回復していった。 

(鮮血と白と緑のタオルによるそれはそれは美しい撮影を持った)


 
そしてまた数日後、私は夜間に再び意識を失い 消えゆく意識の端で熊の到来を知る。 

二度目の襲撃後は病院へ搬送され。幸い大事には至らなかったので、少々の処置と介抱があり またしても私の強っての願いで翌日レジデンスに戻る。

(緊急時のため病院にカメラとフイルムを持参し忘れていた) 

普段は個室での制作であったが、食事の際は友人 (奥様) が同行することになる。

 
 
その夜、わずかの間一人となった私は 三度目の襲撃を偶然の体重移動で免れ、熊と組んず解れつの攻防の末、工房用のバールで熊の鼻を打つことに成功しひとまずの安堵を得た。

咄嗟に怒りと殺意、人間という支配的生き物のプライド的・尊厳から来る蔑みの感情と 同時に深い恐怖を感じた。咄嗟に若い彼の頭蓋を穿ち 殺害しようとする私。 

が、手を下そうという瞬間に 一瞬一瞥した友人の恐怖の表情を見て気を取り直した私は 彼を殺めることをやめることができた。

若い熊はそれでも私とほとんど同じだけの背丈 (体高でなく二本足直立のサイズ) があり、鋭利な 赤黒い爪を持っていた。 

濡れた鼻は潰れて血がほとばしり、固く閉じた口からは憎たらしく白い歯が小刻みに揺れていた。

その時初めて星野道夫の言葉がアドレナリンで虚な脳裏を駆け巡り、大きな罪を犯さずに済んだことに気づき 胸を撫で下ろした。
 
 
 
激しい過呼吸と焦りに目覚めて  今。


2022.04.27.05.50. - 

Yamato Ogawa.